思い入れと思い込み

グレン・グールド 坂本龍一セレクション

日経夕刊のコラムに興味深い思考が綴られていたので、
覚え書きとして(自戒も込めつつ)引用。

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「……コンゴ民主共和国出身の振付家からも似た話を聞いたことがある。ヨーロッパや北米の振付家の仕事は、純粋に<芸術>的な観点から評価されるが、振付家がアフリカ出身であると、とたんにその仕事は、アフリカの悲惨な政治的社会的状況、もしくはアフリカの諸部族の儀礼的伝統という文脈に結び付けられて説明され、そのような解釈を受け付けない作品は、<非アフリカ的><非正統的>、つまり<偽物>だと否定的に評価されるという。同じ批評家が、ヨーロッパや北米出身の芸術家に関しては、<非正統性><らしくないこと>をむしろ前衛性の証として称賛するのだから、美の二重基準もいいところである。……」(引用終わり)
(5/24日経夕刊 「ひとつのアフリカ、複数のアフリカ」小野正嗣

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これを読んで、脳裏に浮かんでしまったのはやはり、
「スペインのフラメンコ」でした。
このアートを愛するゆえの思い入れが、
良くも悪くも
思い込みという偏見になりがちなのではないかと、
ちょっぴり考えさせられたのでした。 <情熱><光と蔭><ヒターノ>
というような。

伝統はもちろん大切ですが、
長い射程距離からこのアートを眺める視点も
大事だと感じます。
そういう時代だと思うのです。

カナダ人ピアニスト、グレン・グールドが奏でた
ドイツ的解釈からかけ離れた軽やかなバッハは、
半世紀以上も聴く人を魅了し続けています。

先週観たマリア・パヘスのフラメンコ。
彼女が、ラストのアレグリアスで見せた
突き抜けたような寛容の微笑みが
忘れられません。