マヌエル・リニャンとベレン・マジャの時代性

マヌエル・リニャンが良かった。
若手振付家としてそして舞踊家として
スペインでも高い評価を受けているという彼の踊りは、
言うまでもなく素晴らしいものだった。
父親が闘牛士という彼の動きには、細部にまで気の行き届いた
張りつめた緊張感がある。
けれどその筋の通った潔さは、決して頑ななものではない。
しなやかな柔軟性に裏打ちされているのだ。
それは冒頭に踊られた、バタ・デ・コーラを着用した舞いに象徴されていた。
ベレン・マジャと共にバタ・デ・コーラを身に付けて踊る華麗なパレハ。
シルバーグレーの重厚なふたつのバタ・デ・コーラがシンクロしてひるがえる、
その斬新さに目を奪われた。

男の力で的確にさばかれる長い裾は、理想的なシルエットを描いて
空中に一瞬長く留まりながらうねっていく。
マヌエルの上半身の衣裳は、軍服を連想させるような抑圧的な詰襟にもみえる。
それゆえ、バタ・デ・コーラ自体の持つのエレガントさが際立ってくるのだ。
鋼のような力強さとしなやかさ。
そこには男性性と女性性が違和感なく共存していた。

女装も男装も無いのだ、と視界が広がるような気がした。
女を、男を、装うのではない。
人間はただ二種類の違った形で生まれてくるだけで、
どちらであろうとその中には女性性も男性性も元々備わっているものなのだ。
美しいブラソやマノを紡ぎながら
強靭で雄々しいサパテアードを放つ
マヌエル・リニャンの両性具有的な踊りに
そんなシンプルなことを改めて気付かされた。
烈しい闘争心は深い優しさから生まれてくるということにも。
既成概念から解放され、ボーダーレスが進んでいくほどに
フラメンコは豊かさを獲得していき、
人間の深さをみせてくれる。
そんな時代のフラメンコを目の当たりにした。

ベレン・マジャのモダンなフラメンコにもそれが視えた。
80年代後半に来日したマリオ・マジャの姿が脳裏によみがえる。
伝統的な重みのあるフラメンコ、
そしてインパクトのある独特の風貌からは
ヒターノの誇りがまっすぐに伝わって来たものだ。
その娘として生まれてきたベレン・マジャにとって、
そういったフラメンコは、受け継ぐにしても否定するにしても、
多大なエネルギーを要する厳しいことだったに違いない。
そういった深い根っこに支えられて、
フラメンコは伸びやかに進化しているのだ。
その最先端を観ることができた幸せを感じている。

明日のイスラエル・ガルバンと明後日のロシオ・モリーナが
ますます楽しみになってきた。


フラメンコ・フェスティバル
http://www.parco-play.com/web/program/flamencofestival/