ロシオ・モリーナ舞踊団 〜10年の軌跡〜

ロシオ・モリーナ舞踊団 ――10年の軌跡――
4/18(金)/東京(渋谷)Bunkamura オーチャードホール
【バイレ】ロシオ・モリーナ/エドゥアルド・ゲレーロ/ダビ・コリア【ギター】ラファエル・ロドリゲス・?カベサ?/エドゥアルド・トラシエラ【パルマ】エル・オルーコ【カンテ】ロサリオ・ゲレーロ?ラ・トレメンディータ?

最前線の孤高                

「フラメンコの扉はいつも開いている。それによってエモーションを与え、受け止めることが出来る。フラメンコは壁も限界も無い寛大な芸術なのです」 
 
 そう語っていたロシオ・モリーナの創造性溢れる舞台に、私は時間を忘れて没頭してしまった。
過去10年間の活動軌跡を描いた世界初演となる今回の公演は、これまでの10作品の中からベストシーンを盛り込んだ魅力に満ちたステージだった。エドゥアルド・ゲレーロのナイフのような鋭さとダビ・コリアの優しさと雄々しさ、二人の男性舞踊手の高度な身体性とまったく異なる深い精神性を鮮やかに浮き彫りにさせつつ、ロシオは彼らと共に自らの内側から湧き出るシュールな幻想世界を、フラメンコを通底させながら織り上げて行く。その中にあって、カンテのロサリオ・ゲレーロ・?ラ・トレメンディータ″が不思議な存在感を放っていた。彼女は、ロシオの夢の中に自由に出入りする吟遊詩人だった。ビブラートの掛けられたハスキーな声は、ソフトな中にも威厳を漂わせる。ロシオに寄り添いながらも醒めた目を持ち、友となり姉となり母となり、時に恋人となって、ロシオの内面に問いかけているように感じた。その揺らぎからロシオはさらに強い一歩を踏み出し輪郭を強める。そんな高まりを生む独特の関係性が求心力となって観る者の心を捉えていた。

 そして私はさらにこの舞台の音の世界に恍惚となった。ここではパルマ、サパテアード、ピト、 身体を叩く音、テーブルを叩く音、すべてが完璧なコンパス感で鳴らされていた。けれどそれは決して機械的な連打ではない。 真剣に生きる姿勢がフラメンコとなって発せられるからこそ、正確を極めて刻まれるもの。舞台からリアルタイムで聴こえる生音、マイクを通した音、 ホールに共鳴する音、 それらがほんのわずかな時間差の奥行きの中で調和し、共鳴しながら皮膚を響かせる。その小気味よい粒揃いの音の波に全身を刺激されることがこんなにも快感だとは! 生きものの心臓は正確な鼓動をごく自然に刻んでいく。宇宙の営みが時の流れとなっていく。 私たちの生が時計の針を追うのではなく、時計の針が私たちの生を追っている。そうであるならば、時を共有するということは相手の生きる時間を感じるということ。それは漫然と時を共に過ごすのではなく、大切な互いの時間を尊重するということであり、その瞬間が一期一会の貴重な時間であることを意識するということ。極めて高いテクニックに裏打ちされたフラメンコの音の流れが濃密な時間の意味を示唆してくれる。

 孤高のアルテを追求するロシオ・モリーナの表情に作り笑いや愛想笑いは皆無だけれど、仲間たちの創り出すパルマや音楽、そのコンパスの波の中で時おり口元に満ちてくる小さな微笑みには、フラメンコに内包されている孤独と自律を共感し合える希望の歓びが滲む。壁も限界も無いフラメンコ最前線の厳しさの中をロシオ・モリーナは潔く歩み続ける。