新宿芸術家協会公演「ノスタルジー 都電100年を踊る〜現代のカオスより〜」忘備録

それから (新潮文庫)

それから (新潮文庫)

新宿芸術家協会公演The Dance Gathering Vol.16
「ノスタルジー 都電100年を踊る〜現代のカオスより〜」
[6月29日/四谷区民ホール]

「都電で巡る記憶の旅」
                            
 第十六回目を迎える今回のテーマは、昨年開業100周年を迎えた「都電」。都内で唯一残されている都電荒川線、そして交通手段の移り変わりで廃止されてしまった路線の駅に人生の想い出を重ねていく、ノスタルジーに満ちた舞台だった。
 
 まず第一部は、期待の若手舞踊家による「フレッシュコンサート」。伸びやかなテクニックはさることながら、与えられたチャンスの場で自身の理想をまっすぐに目指す彼らのひたむきな姿が清々しく印象に残る。カーテンコールで、ひとりひとりの名前が紹介されるのが良かった。拍手を浴びる経験の積み重ねは彼らにとって大きな励みとなることだろう。この2月にローザンヌ国際バレエコンクール菅井円加さんが入賞したのは記憶に新しいことだが、彼女がコンテンポラリー賞とのダブル受賞したことで、モダンやコンテンポラリーがこれまでよりも認知されるようになって来たと信じたい。そんな背景の中、このようなガラ公演で様々なジャンルの舞踊が互いに影響しながら高め合い、そういった中から新しく生まれてくるものを、一愛好家として楽しみにしたい。

「都電100年を踊る」と銘打たれた第二部では、現存する駅から、かつて存在していた駅へと記憶を手繰るように、それぞれの地に纏わる想いを踊りや歌で綴っていく。
 
 始発は、小林伴子さんと片桐美恵さんによるフラメンコ作品「面影橋から『Toma que Toma』」。10名のバイラオーラがラフな私服で歌い踊るフラメンコ・ミュージカルは、学生街らしい生き生きとした雰囲気を伝えてくれる。モダン・ジャズ系のスタイリッシュなフラメンコが新鮮だ。
 
 土屋乃予さんは「鬼子母神」を舞う。この土着のおどろおどろしさと哀しみがフラメンコの昏い側面にシンクロする。日本の舞踊とフラメンコが深い所で繋がっているのを感じる。豊田弘一さんが奏でるコントラバスが緊迫した空気を創り出す。その抽象的な低く鋭い音色が耳に残る。
 
 佐藤雅子さんによる典雅なインド宮廷舞踊が幻想の世界へと誘う。シタールのエキゾチックな響きに夢心地となり、いつのまにか、かつて都電が走っていたという日本橋駅を巡っている。
 
 大谷けい子さんは中国現代舞踊で、銀座四丁目界隈で誰もが振り返ったという美貌のメイランを演じる。甘い声で歌われる柔らかな発音の中国語の歌が耳をくすぐる。
 
 中城幸子さんは、銀座七丁目にかつてあった「銀巴里」を懐かしみながらメランコリックにシャンソンを歌う。

 「海潮音」を訳した上田敏は、都電開通の頃に築地で生まれたという。「落葉」の寂寥と「山のあなたに」の希望の世界を、小林祥子さんがモダンバレエ作品に託す。
 
 鳳仙功舞踊の鈴木恵子さんは、鉄道員だったという今は亡きお父様への感謝の思いを込めて、月の夜の舞をしっとりと舞い踊る。
 
 最後を締めくくる、雑賀淑子さんの作品には驚かされた。そこは飯田橋の側にある東京理科大学。白衣を着たモジャモジャ頭の学生たち四人が、原発に代わる新しいエネルギーを開発している。彼らは、雑賀さんの琵琶と語りに合わせ、コンテンポラリーの不思議な動きで、大きな真っ黒い箱の周りを舞う。その中に怪しげな液体を注ぎ込んだら、まるで大掛かりな手品のようにレディ・ガガと見紛うような女性が箱から現れた。金髪のショートボブのかつらにサングラス。ラメ入りピンクの超ミニスカートのチューブトップに黒のマニッシュなジャケットを粋に着込んだ女性のその手は、しなやかな指でカスタネットを操っている。エレガントなバイラオーラ、カスタネットの名手、小林伴子さんだった。最高に楽しい大どんでん返し!
 すべてを凌駕するエネルギーとは、ウィットであり笑いである。何があっても明るく笑い飛ばせる人が最後に残るのだ。きっと……!
 
 一言で100年前といっても想像もつかないが、そういえば夏目漱石の『それから』の中で、代助が恋愛の矛盾を抱えて電車に乗ったのが、飯田橋駅だった。漱石がそれを描いたのがほぼ100年前だ。今も昔も、人が抱える苦悩はそう変わらないのかも知れない。その物語に思いを馳せるとき、その長い年月の距離が親しみを持ってぐっと迫って来る。
 
 加速する現代の忙しさの中ではともすれば自分を見失いそうになる。そんなときふと追憶の情景に佇んでみる。淡い光に包まれた幼い自分を眺めるとき、忘れかかっていた大切なものが体温を伴って再び胸に宿っていることに気付く。