無償の愛

母の愛は無償の愛に違いない。
けれど、それは決してきれい事ではなく
これほど平等で無い愛は無い。
エゴイスティックなものであるという点において
非常に普遍的なものである。
そして、普遍的であることの裏を返せば、
人は誰もが自分だけが特別に愛されたいと渇望しているということなのだ。
その記憶の在り方は、潜在的にも意識的にも、
人との関係性の軸となり、
その人の生き方の深いところに影響していることは間違いないと思う。

「母」と書いたが、もちろんそれに限定するつもりはない。
自分自身が母親の立場なので、考えやすかっただけである。
母という存在に限ることなく、そういう愛情の在り方は可能である。

父親に対しては感謝しているものの、感情は 若干こじらせている。
未だに、こじらせている、などという気持ちを抱いているのは、
やはり裏を返せば、幼い頃と変わらず、そういった愛情を
無意識的に求め、どこかで期待している証拠なのだろう。

自分が受けた影響、自分が与える影響、
そういったものにいま一度、正面から向き合い、
自問してみる。
気付いたのなら、もう切り替えよう。
私はもう与える側にいる。
それを忘れそうになっていた。
いつまでも誰かに期待し、甘えているところだった。
誰かの拠り所となるのは、シンプルなことだ。
自分の記憶を辿ってみると解る。
ただ受け入れること。そして笑顔でいること。

羊たちの沈黙』レクタ―博士の言うところの
「記憶の宮殿」という言葉をふと想い出した。