フラメンコ曽根崎心中

『フラメンコ曽根崎心中

近松の狂おしい恋。
フラメンコ舞踊家、鍵田真由美さんの情念に圧倒されました。お初が鍵田さんであり、鍵田さんがお初だった……。
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フラメンコ曽根崎心中
4月2日(水)/東京(初台)新国立劇場中劇場
【プロデュース・作詞】阿木燿子音楽監督・作曲】宇崎竜童【演出・構成・振付・踊り】(徳兵衛)佐藤浩希【踊り】(お初)鍵田真由美/(九平次)矢野吉峰/(客演)板倉匠【鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団】末木三四郎東陽子/工藤朋子/柴崎沙里/小西みと/関祐三子/鈴木百々子/坂口真弓/美山琴里/広田秀美/清水梨々花【歌】(お初)三原ミユキ/(徳兵衛)三浦祐太朗/(九平次野本有流【ギター】横田明紀男/鈴木尚斎藤誠【パーカッション】大儀見元【ピアノ】北島直樹【ベース】木村まさし【篠笛】村山二朗【土佐琵琶】黒田月水【和太鼓】前田剛史【パルマ】伊集院史朗

『豊かなる神秘性』               

 お初は澄み切った眼差しで遠くを見つめる。それは死の淵の向こう側。徳兵衛と永遠に結ばれる光射す未来。青白く透明な光に包まれた鍵田真由美さんの佇まいが脳裏に焼き付いています。鍵田さんはお初を演じているのではなくお初その人であり、お初の哀歓は鍵田さんの哀歓となっていました。
 
 ピアノの切ない旋律と絡み合う鍵田さんのソロが胸を突く。お初19歳。今の感覚で言えば少女のような年頃だけれど、幼いころに身売りされ遊女として働かなければならなかったお初は、想像もつかない労苦を重ねて来たはず。とりわけ男の。だから人生に絶望しながら老成せざるを得なかった。それゆえ優しい徳兵衛に惚れた。なのにその愛しい人が、自分と一緒になるためにやっとの思いで取り戻した二貫目の金を、こともあろうにその帰り道に友人に貸してしまうなんて。私だったら責め立ててしまうかも知れない。けれどお初は、その馬鹿正直なほどの人の良ささえも彼の純情の表れとして受け入れていく。鍵田真由美さんはそんなお初の心情をエロティシズム漂う身悶えするようなフラメンコで表現していました。その踊りが醸し出す濃厚な湿度を私は全身で味わっていました。女性の誰もが心の奥に抱きながら表に出せずにいる情念、鍵田さんはそれを静かに吸収し、フラメンコによって浄化してくれている、そんな気がしました。近松の描く狂おしい恋に初めて衝撃を受けたのは、ずいぶん昔、映画「心中天網島」の小春を演じる岩下志麻さんを観た時でしたが、鍵田真由美さんからはよりリアルにそれを感じます。クライマックスとなる道行の場面。お初は静謐なタナトスの表情を浮かべていた。死を決意した時から彼女は現世の人間ではなかった。すべてを超越した観音菩薩の微笑みで、死への恐れからお初への最期の一刺しを迷う最愛の人徳兵衛を、不滅の魂へと導いていた。晴れて想いを遂げ、折り重なるふたりの柔らかな恍惚を私は忘れない。
 
 初演以来12年ロングランを続け、今回生まれ変わった『曽根崎心中』は、よりエンターテインメント性に溢れた舞台となっていました。ことに音楽陣は、異ジャンルのアーティストが結集した層の厚い音楽を創り上げていました。三原ミユキさんはクラシックで鍛えられた艶やかな声でお初の美しさを表し、三浦祐太朗さんは伸びやかな声で徳兵衛の若々しさをリアルに伝え、野本有流さんは関西弁を帯びたブルースで九平次の悪役ぶりにより磨きを掛けていました。鼓童の前田剛史さんは和太鼓で舞台をきりりと大胆に引き締め、土佐琵琶の黒田月水さんは舞台に粋という筋を通していました。色彩鮮やかな音楽の魅力は、フラメンコを超えた深化と広がりの可能性をこの息の長い舞台にもたらしていました。
 
 一方で、フラメンコの魅力は抽象性とその神秘性にあり、それらは文楽の深みにも共通しているものと感じることも事実です。鍵田真由美さんの菩薩の表情は人形浄瑠璃に重なるものがありました。その感動に気付いた時、総合芸術の豊かさの追求を、原点に立ち返った眼によって洗練させた、より進化した『フラメンコ曽根崎心中』を観たいと願う自分がいました。