【公演忘備録】『PLATA Y ORO』(銀と金)

異なる色彩を放つ3人の名フラメンコ舞踊家による幻想的な舞台。そこには静かな狂気の調和がありました。
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『PLATA Y ORO』(銀と金
4月6日(日)/東京(北千住)シアター1010
【バイレ】アントニオ・カナーレス/カルメン・レデスマ/森田志保【カンテ】マリ・ペーニャ/ディエゴ・ゴメス/エル・プラテアオ【ギター】アントニオ・モジャ/エミリオ・マヤ【ヴァイオリン】SAYAKA【パーカッション】容昌

『静かなる狂気の調和』            
 
 幾つもの隠喩が層を為しているような幻想的な舞台だった。アントニオ・カナーレスが銀、カルメン・レデスマが金を象徴しているという。この渋い光沢を放つ両巨匠のアルテを、森田志保が構成演出、そして自らも狂言回しの踊り手となり、ゴヤの『黒い絵』を思わせるオムニバスを綴っていく。
 
 舞台は、ナイフ、波、月、砂漠などからイメージされる6つのシーンを描いていく。それはまるでロルカが戯曲に託した心象風景を辿っていく旅にも思えた。業による束縛と自由への渇望から湧き起こる怒り、憎しみ、哀しみ、そして求め続けるからこそ、その苦悩の中に浮かび上がる刹那的な歓び。カナーレスとカルメンの重厚なフラメンコは、そんな感情の波を湧き上がらせ、観る者を内省の深淵に立たせる。漱石の『夢十夜』を読み進んでいくように意識が心の闇へと沈んでいく。フラメンコの魔物に引き摺り込まれ、その情念の海に浸り漂う心境は快感ですらあった。けれどそれは停滞でしかない。森田志保はそこに美しい道化となって現れ、その闇に潔く亀裂を入れる。そして人生を切り開くごとく次のシーンへの展開を鮮やかに促していく。彼女の清冽な佇まいは、雄大な帆船の舳先に飾られた女神像をも彷彿とさせる。人々の祈りを一身に背負い、進路を見据えて大海原を推進していくように舞台を動かしていた。森田の踊りは斬新なモダニズムを体現しながらも、その奥にフラメンコの伝統美を宿している。プーロへの敬意が通底しているゆえに、この三人の素晴らしいソリストたちによる競演はひとつに結ばれていた。

 森田の透明感のある存在によって、二人の名舞踊手の黒い血の魅力はいっそう際立つ。特にカナーレスの魔性に今まで以上に惹き込まれた。彼のアルテには甘い中毒性がある。この愛すべき巨匠のカリスマ性は、人を威圧する強さにあるのでは無く、他者の心をすべて受け入れてしまう繊細さにあるのではないか。だから彼の表情に鏡のように反応してしまう。カナーレスが眉を寄せると私の胸にも不安がよぎり、顔をゆがめると泣きたくなる感情が込み上げた。そして無邪気な笑顔を見せるとその無防備さに思わず微笑んでしまうのだ。カナーレスはそのガラスのような心ゆえに、彼自身に対する愛情も憎悪もそして中傷さえも丸ごと呑み込むしかなかった。そんなカオスを昇華させたフラメンコだからこそ私たちの心を捉えて離さないのだと思う。
 
 深く研ぎ澄まされた舞台芸術は、時間が経つほどにその輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、記憶の中に幾度も蘇って来る。そしてそれは思いもよらないイマジネーションを引き寄せて、こんな断片が自分の中にあったのかと気付かされる。作品に秘められたアルティスタたちの底知れぬ美学が否応なくそうさせるのだ。アントニオ・カナーレスの甘美な魔性、カルメン・レデスマの気高い母性、そして森田志保の清爽な前衛性。静かな狂気の中ですべてが調和していた舞台に、未だ酔ったままでいる。