森田志保『GRAVITACIÓN』

カナリア諸島の火山島、ランサローテ島の映像が白い壁に浮かび上がる。
赤い岩肌をさらす、無機質な大地。
無音の中から鼓動が生まれるように、
齋藤徹を中心とした3台のコントラバスが、
生命の混沌と躍動を、うごめくようにかき鳴らしていく。
森田志保が静かに現れる。
孤独の闇から目覚め、世界に問いかけるように、
そして何かを渇望するように新たな一歩を踏み出していく。
不協和音のカオスからメロディが形成され、
秩序が生まれてくる。音が澄んでいく。
森川拓哉の、艶やかで激しいヴァイオリンには、官能的なパッションが宿る。
今枝友加の、徹底したノンビブラートのどこまでも伸びる声は、
堂々とした生命力を持つ。この人のまっすぐな深化は計り知れない。
無調から生まれた音楽は、旅をするように、セファルディ、古典的フラメンコと移りゆく。
ラストは再び、コントラバスによるエキゾチズム濃厚な現代音楽となり、築かれたはずのものは解体され、開放されていく。
そこからまたいくつもの別世界が生まれていく余韻を残す。
それは激しい切望を込めた音楽だった。
プリミティブなものと前衛とは、永遠につながり、繰り返していくのだろう。
人間の一番原始的な感情は「恐怖」だという。
それは生き抜くための本能。
生身ではたったひとりでは生きられない。不安と孤独との闘い。
そこに何ものかが現れたら、敵か味方かを判別し、味方ならば受け入れて、
ともに心強い仲間として結びつきを深めていこうとするだろう。
そこに初めて得難い喜びも生まれてくる。
人間の声と体、そのパフォーマンスは、誰かと結びつくために(つまり生きるために)、
人間の自覚よりも、もっと根源的で重要な衝動によって磨かれてきたのではないか。
原始の頃から絶え間なく。
それが言葉となり、歌となり、音楽となる。
それらに共鳴した肉体が踊りはじめていく。
だから私たちは、美しく呼応し合う「音楽と舞踊」を求めて止まないのだろう。
そんな本能の発露を生々しく見せてくれるがゆえに、
私たちは、フラメンコに引き込まれてしまうのだ。
森田志保はそれを鮮やかに体現してくれた。
3年前に見た鮮烈な映像パフォーマンス『GRAVITACIÓN』が
より洗練され、濃厚となり、重ねた年月以上に、感動は深まった。
それは森田志保をはじめとする、
この舞台を創り上げたアーティストたちのとどまることを知らない進化の深さと速さを物語っている。
自らの感性を信じ、徹底して追求したところから生まれるアートの繊細さ、
そして潔さ。
神聖なフラメンコだった。

森田志保(踊り)
今枝友加(歌)
齋藤徹/田嶋真佐雄/田辺和弘(コントラバス
森川拓哉(バイオリン)
Emilio Maya(ギター)

高木由利子(映像)
市村隼人(編集)

2/19(日)
『GRAVITACIÓN』
Sonorium(ソノリウム)