吉田秀和さん逝去

(以下[時事通信社]ニュースより)

吉田秀和氏死去=音楽評論家、文化勲章
時事通信5月27日(日)1 1時17分
 音楽評論家で文化勲章受章者の吉田秀和(よしだ・ひでかず)氏が22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。98歳だった。密葬は家族で済ませた。後日、お別れの会を開く。[時事通信社

(以上引用)

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 正午のNHKニュースで知りました。
 この日記にもたびたび書いていますが、この方の深く温かい眼差しによる音楽評論は、クラシック音楽の一愛好家に過ぎない私にとって、一点の煌めく星のような指針となってくれました。
 様々な作曲家やその作品、それらを現在に伝える素晴らしい演奏家たちを教えて下さったことは言うに及ばず、なによりも、クラシック音楽との親しみ方を身を持って示して下さいました。

 手元に、つい最近書店で購入した『レコード芸術』の6月号があります。吉田さんは「之を楽しむ者に如かず」というタイトルの随筆を連載されていました。このところ休載が多くなり気になっていたのですが、久々に掲載されているのを目にして手に取ったのです。しみじみとした回想が多くなったことは、ここ数回読むたびに感じていました。
 この号では、若い評論家へ向けられたさりげないエールの言葉に胸を打たれたのでした。

(引用)「若い人は若い未来を感じ、それに共感するのは当然である。私は彼の論旨に『生きているもの』を感じ、そこに感心したのである。
 客観的に対象を論評し、だけど私の共感はここにあると結ぶ。何と健康で爽やかな論評だろう!」

 専門性の殻に閉じこもらず、演奏を語る中にその人なりの味わいを投影させることで、その音楽に普遍的な広がりを持たせていく。
 
 吉田さんご自身が信念を持ってやって来られたことが、確実に後進の人々に伝わっていることを喜ばしく感じていらっしゃる……、ここまで書いてみてちょっと違うなと思いました。きっとそんな堅苦しいことではない。音楽から与えられた歓びを他者と共感し得て、さらにそれが永遠に広がっていく様を純粋に祝福されているのだと感じます。そして吉田さんが生きることがどれほど眩しく尊いものと感じていらっしゃるか、その想いが吉田さんの文章を通して伝わってきたのです。

 吉田秀和さんの評論に影響を受けた多くの人々の中の、すそ野の小さな一点に私は過ぎません。けれど、その素晴らしい芸術の世界観を教わった恩恵を忘れることなく、日々の暮らしの中にささやかに滲ませていくことで、私なりに伝えていきたいと思うのです。

 いまごろは最愛の奥様との再会を果たされているでしょうか。

 以下、2007年7月4日のミクシィ日記を再録。
 当時NHKで放送されたETV特集を観たときの感想です。

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 先日、NHKETV特集「言葉で奏でる音楽 吉田秀和の軌跡」をみました。
 クラシック音楽評論家として、93歳の今もなお活躍されています。
 実家に、まだ著書があるかな・・・。マジメに(そういう時期もあった)読んでたころが懐かしい。

 
 以下、覚書として。


 堀江敏幸氏、石田衣良氏、長木誠司氏も、多大な影響を受けられたそうです。

 バッハ ゴルトベルク変奏曲(グールド、55年版)
 チャイコフスキー 交響曲第5番チェリビダッケ
など、聴いてみたくなるような評論の言葉でした。

 「だめだって言われたものの中におもしろいものはいっぱいある」
 「社会的発言の責任を持つ」
 「いいものをいいと伝えるのはもちろんだが、たくさんの魚の中からいいものを見分けることを、批評している人は心していなければならない」
 「誰も何も言わなかったことを見つけられるのは楽しい」

 西洋音楽に謙虚な気持ちを持った上で、膨大な研究と新たな挑戦を続けて来られた氏の言葉には、説得力がありました。
 インタビュアの堀江敏幸氏も心から尊敬しているようで、それが伝わったのか、吉田秀和氏から、いい言葉を引き出していました。


 一番印象に残った言葉。

 最愛の奥様を亡くして、一時、音楽を聴くことから遠ざかったこともあったそうです。
 それでも、さびしくなって少しづつ音楽を聴き始めたとき、どの音楽家の曲も主張がありすぎる中で、

 「バッハは、邪魔しなかったな・・・」

 と、おっしゃいました。

 バッハの精神性の高さをひとことで表していると同時に、奥様への深い思いが伝わって来て、心を打たれました。


 
 この番組の後、NHK「週刊ブックレビュー」をつい観ていたら、堀江敏幸氏のエッセイ「パン・マリーへの手紙」(岩波書店)を紹介しており、読みたくなったのでした。

(以上2007・7・4日記より)