川端康成『山の音』

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

 川端康成「山の音」読了。
 再読、のつもりだったが、
 これを初めて読んだ若い頃は、
 この繊細な文章から何も読み取れていなかったことに気付いた。
 でも、それも当然だったともいえる。
 60歳を過ぎた信吾が、息子の妻菊子に向ける愛情を、
 学生のころの私は、絵空事のようにしか捉えられなかった。
 その葛藤が生々しく感じられるようになって初めて、
 この物語を咀嚼し得るのだと思う。
 信吾の心情を描写した文章の行間に潜む嘆息が
 日本の古いしきたりの鬱陶しさと絡まりながら伝わってくる。
 今回は、そのくらい没頭して読めた。

「修一に女が出来たために、菊子と修一との夫婦関係は深くすすんだ。」(引用)

 長男夫婦とともに暮らす信吾が
 嫁である菊子に密やかに恋心をいだきながらも、
 現実の生活の中に様々に噴き出す夫婦間の問題を見守っていかざるを得ない
 やるせなさが、じっとりとした湿り気を伴って伝わってくる。
 
 一方でそれゆえに、信吾の菊子への眼差しは、繊細で優しい。

「菊子の揉上げと額とのあいだの生え際が、実にきれいだった。……
 きめの細かい肌と生えそろった毛とが、くっきりと鮮やかだ。……
 少し血の気のうせた顔に、かえって頬だけ薄く赤みがさし、
 うれしそうな目を輝かせていた。」(引用)

 その観察眼は、甘く官能的ですらある。

 この作品は、川端康成が50代のころに書いたものだという。
 深く鋭い、そして静かな視線が伝わってくるようだ。