グールド伴奏によるバッハのヴァイオリン・ソナタ
ここ数日、グレン・グールドのピアノ、ハイメ・ラレードのヴァイオリンによる、バッハのヴァイオリン・ソナタばかり聴いている。
グールドのピアノとなれば当然伴奏の域には収まらず、ヴァイオリン・ソナタというよりは完全に対等なアンサンブルとなっている。そして個性の強いグールドにラレードが合わせているかといえば、そういうわけでもなく、そっちが自由に弾くならどうぞ、とばかりに遠慮も躊躇もなく、ラレードも実にのびやかにヴァイオリンを歌わせているのが心地良い。
グールドは、バッハの音の連なりそのものを楽しみながら、構造を明解に浮かび上がらせて弾いている。左右の手から生まれてくる旋律が戯れているところに、ヴァイオリンの旋律が明るい音色で絡んでくる。両者ともベタベタした感情を挟まずに、バッハの音楽を心底楽しんでいる。だからすべての旋律に生き生きとした命が吹き込まれて、常に前へ進もうとする躍動感にあふれていて、聴いていて気持ちがいいのだ。
ちょっと暗い顔をしていたら、後ろから肩をポンッと叩いて来て「何を考え込んでるの。好きなようにやってごらんよ」と声を掛けて、けれどそれ以上踏み込むこともせず、そのまま駆け抜けて行ってしまうような軽やかさがある。
グールドは、どの音域でも濁ることのない透明感のある響きを重視して、軽いアクションのピアノを愛用していた。理想のタッチを追求して何度も調整を繰り返したという。
イメージしているものをまっすぐ見据え、たとえ変わり者のレッテルを張られようが、試行錯誤すら楽しみながらそこに純粋に向かっていくグールドの姿に、今は力づけられている。