マリインスキー・バレエ「白鳥の湖」 ロパートキナの哀しみ

 マリインスキー・バレエ 2012年日本公演
 11月27日(火)
白鳥の湖』全3幕4場
 オデット/オディール:ウリヤーナ・ロパートキナ
 ジークフリート王子:ダニーラ・コルスンツェフ

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 マリインスキー・バレエの「白鳥の湖」を観てきました。
 
 オデット/オディールは、当代最高のバレリーナのひとりウリヤーナ・ロパートキナ。素晴らしい夜でした。約3時間の上演時間(途中20分休憩が2回あります)は夢のように過ぎ去りました。
 
 映像ではなく、舞台で観てはじめて、バレエは動くロマン派絵画であり、目に見えるロマン派音楽そのものであると実感します。
 
 完璧なバレエを身体化しているロパートキナの踊りは、テクニックではなく美そのものを追求する。そこには人間的な感情は一切入り込む隙もないほどバレエの様式美に魂のすべてを注ぎ込んでいる。けれどそれは決して冷たいものではなく、その冷静さの極みから透明な哀しみが流れ出し、私たちの胸をついてくるのです。人間的なジークフリート王子を演じるダニーラ・コルスンツェフは一目見てオデットに惹かれますが、それは女性への恋というより、孤高の冒し難いものへの畏れのように感じました。

 マリインスキー劇場管弦楽団の音楽も素晴らしい。指揮はアレクセイ・レプニコフ。芸術総監督であるワレリー・ゲルギエフに抜擢されたという経歴を持つ方です。チャイコフスキーが望んだ音の世界そのものに包まれているような心地でした。まず豊かで深みのある木管の音色にすうっと吸い込まれていく。オーボエによるあの切ない旋律、バイオリンのすすり泣くような音色は、全身の皮膚を震わせストレートに胸を打ってきます。全体を覆う憂いがまとっている湿度はしっとりとした重みをともなって胸に沁み込んできます。
 
 マリインスキー・バレエを支えるワガノワ・メソッドに脈々と受け継がれているものは「調和(ハーモニー)」であるという。「音楽と舞踊の調和、精神と体の調和」。ロパートキナのバレエは、まさにそのことを体現した極みでした。音楽と踊りの流れ、その中にあるひとつひとつの音、動きを互いが聞き逃すことなく、見逃すことなく、味わい、寄り添い、絡み合うことで、チャイコフスキーの音楽はより豊かに完成されていく。

 ロパートキナの踊りの見せ場では、オーケストラの音楽は追い込んでいくのではなく、逆にテンポを落とすことで踊りと音楽に丁寧さを加え、その行間に細やかな気品をもたらしていた。

 白鳥の小刻みなバットリーのはかなく震えるような繊細さ、黒鳥の、王子の心を射抜く鋭い魔性の視線、動きの一切に気を抜くことなく全霊を込めていたロパートキナは、ひときわ気高いオーラを放っていました。

 この日のロパートキナ主演の「白鳥の湖」は早い時期からチケットは完売で、当日券も出なかったそうです。東京文化会館は5階席までぎっしりの満席状態でした。そんな中で、ロパートキナが出る瞬間を息をのむように見つめていた緊張感は、ロパートキナが登場してからは幻想をみているような熱のこもった静けさに変わったのをはっきりと感じました。あの静かに張りつめた空気の感触の変化は今まで味わったことのない体験でした。

 幼いころから憧れ続けていたバレエの究極の美を全身で感じた幸せを、感謝と共に一生忘れることはないでしょう。