グールドの『フーガの技法』

グレン・グールド/バッハ全集[紙ジャケBOX完全版]

グレン・グールド/バッハ全集[紙ジャケBOX完全版]

 グールドがピアノで弾いている『フーガの技法』を聴いていて
 ふと気付いたことがある。
 これまでもバッハの他の2声や3声の作品を聴いて来て、
 薄々感じていたことが明確になったといった方が良いかもしれない。
フーガの技法』のあまり感情が入る隙のない、
 前衛的ともいえる音の並びによってそれが浮き彫りになったのか。
 
 バッハを鍵盤で弾く歓びの源は、
 自分の中に別の人格の自分が存在しているという
 解放感なのではないだろうか。
 左右の指から紡ぎだされる生きいきとした複数の旋律は、
 自己の意識に捉われることなく
 それぞれの自由意思で動き出しているようだ。
 グールドが少年のように没頭してピアノを弾くのは、
 バッハの旋律に投影された複数の人格どうしの対話
 という知的な戯れなのかも知れない。

 けれどそれは決して無邪気なものではなく、
 しょせん人間はひとり、という
 諦観にも達観にも感じられるような
 彼の哀しみが音楽に滲んでいる。
 
 だから
 素の自分を見失いそうになるとき
 グールドを聴きたくなるのだろう。

 このような感覚は
 ピアノを弾く人なら
 とうに知っていることだろうけれど。