『テス』

かつて観た映画の中で、忘れられないもののひとつに
ロマン・ポランスキー監督の『テス』
(1979年制作/イギリス・フランス)
があった。
日本で初公開されたころは、私はまだ中学生だったが、
ナスターシャ・キンスキー」という美しい女優の名前は
どこかで聞き覚えていて、ずっと気になっていた。
実際に見たのは二十歳ごろ、
テレビの深夜放送だったと思う。
その映像は印象深く、いくつもの断片がくっきりと胸に刻まれていた。
この映画が先月ブルーレイの美しい映像で蘇ったと知り、
それをやっと観ることができた。

記憶というものはとかく美化しがちであるが、
そのようなことはまったく無かった。
それ以上に、自分自身が齢を取ったせいもあるのか、
ただ美しいだけだった記憶の中の登場人物の悲哀が
胸に刺さって来たのであった。

悠々としたカメラワークは英国の静かな田園風景の広がりを見せる。
(実際はフランスでのロケだったそうだが)
しかしそれは単にのどかといえるものではない。
豊かな緑に彩られながらも、そこには自然の底知れない寂しさ、険しさ、
そして人間をそう簡単には受け入れない野性的な距離感を見せる。
その情景が、どこまでいっても孤独から抜け出すことができない
ナスターシャ・キンスキーの奇跡のような美貌と
どこかしら重なるのだ。
野生の美の本質には官能がある。
たとえ無意識であろうと、彼女の挑むような美貌には
そういったものを感じる。
当時の過酷な開拓、酪農に従事する貧しい農夫らの中にあって
テスの美しさは異分子そのものである。
彼女はどんなに願っても
ありのままにそこに居続けることは許されない。
そこにいることを拒否されてしまうものを持って生まれついてしまった者は、
それを受け入れてくれるところを探し求めていくしかない。
自覚できる人間はさいわいである。
そういう事実にあまりにも無防備であることによって
この物語は悲劇に突き進んでいく。
賢く立ち回ることのできない純粋さも深い信仰から来る慎ましさも
テスの美質であった。
それゆえ、自分の意志の及ばないところで犯され、
子供を生み、その子を失ったという事実によるレッテルは、
彼女自身をもがんじがらめにしてしまうのだ。

約3時間という長丁場であり、
19世紀のイギリス小説を原作としたストーリーは
文学的でありじっくりと展開していく。
それでも全く飽きることなくこの映画に引き込まれてしまうのは、
やはりナスターシャ・キンスキーの美しさゆえである。

苦く割り切れない後味を残すストーリーであるにも関わらず、
現代の映画のような加工はされていないであろう類い稀なる映像美は
安らぎをもって胸に沁み込んでくる。

ラストのストーンヘンジのシーン。
荒野に佇む石の墓標の冷たさと、
テスの死への静かな情熱の対比が
影のように心に残る。

狭い社会通念の中でそれを盲信する愚かさと
自分が誇りとする信念との境目は
どこにあるのだろうと考えさせられた。