ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調』を聴きながら

Beethoven: The Complete String Quartets

Beethoven: The Complete String Quartets

気持ちが散漫になって仕方がないような時、
最近よく聴いているのは、
ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲№14嬰ハ短調』(作品131)である。

9つの交響曲、32のピアノソナタと並んで、
ベートーヴェンの作品の中でも特に重要な位置にあるといわれている
弦楽四重奏曲群は、自分には理解できないだろうという先入観で、
ずっと距離を置いていた。
けれどそれはいつかは解るようになりたいという憧憬の裏返しでもあった。

このところ自分自身の軸を見失いそうな出来事が重なった。
もともとあやふやなものしか無かったのだとも思う。
そんな心許なさから、確固とした何かを心の底で求めていた。
その気持ちはまっすぐベートーヴェンの曲に向かっていった。
しかしそれは、これまで好んで聴いていた作品群ではなかった。
難解と言われるが極めて重要とされる後期弦楽四重奏曲を、
今こそ聞く時だという想いが、なぜだか湧き上がっていた。

無駄なものを一切削ぎ落とした、4つの弦による旋律の融合が
心情にシンクロした。
嬰ハ短調の第14番を聴いた時、特にそれを感じた。
ことに終楽章の激しさにはのめり込んでしまう。
7つの楽章がすべて続けて演奏されるという変わった構造をしているが、
それは人の心の流れのように必然的なもののように感じた。

12番から16番までの後期弦楽四重奏曲は、
交響曲第9番初演の後の、
ベートーヴェン最晩年に創られた作品。

第9交響曲は、すでに聴覚を失っていたベートーヴェンが、
自らの思想を外界に放つ音楽の絶頂であった。
そしてそれ以降の弦楽四重奏曲は、虚飾を排し、
ひたすら内面に突き進んでいった
精神的音楽の究極のように感じられた。
聴いているうちに気持ちが集約され、
密度の高いものが身体の芯を通っていくような
エネルギーを与えてくれる。

大切なのは、表現するということではなく、
その奥にあるものが何か、ということ。
そんなシンプルなことに気付かせてくれる。
不安定な揺らぎが消えていく。

「この傑作では、すべてが、完璧で、必然で、変更の余地がまったくない」
ストラヴィンスキーは晩年、この曲についてそう称賛したという。

そして尊敬してやまない故吉田秀和氏は、この曲の項で、
ベートーヴェンの住んでいたのは、趣味の領域では無くて、精神の王国だった」と書かれている。

凄い言葉。私などとてもこのように言い表せない。
このように理解できているかどうかも疑問である。
たぶん理解など出来ていない。

けれど、この曲を知らなかった頃であったならば、
素通りしてしまい、読み過ごしていただろうこれらの言葉に、
胸を突かれるほど共感できたことが、
今はうれしい。

難解であることには変わりない。
そしてこの感動を言葉に表し切ることも私には出来ない。

それでも大事なことは、
ここで得た気持ち、つまり、
集約された精神の軸となるものの存在に常に耳を傾けていくことを、
日常に、生き方に、
溶け込ませていくことなのだと思う。