森田志保 短編映画『GRAVITACIÓN』とライブパフォーマンス まとめ

(二日間観た感想をまとめてみました)

森田志保 短編映画『GRAVITACIÓN』とライブパフォーマンス
2月1日(土)2日(日)/東京(市ヶ谷)セルバンテス文化センター東京
【撮影・監督】高木由利子【バイレ】森田志保【カンテ】今枝友加【コントラバス斎藤徹/田嶋真佐雄/TYLER EATON

「寛容のアイレ」                
 
 荒涼とした地平に森田志保さんが佇む。静謐な厳しさに心を奪われる。
カナリア諸島の中にある火山島ランサローテを背景に浮かび上がる、あまりにも儚い生命体。けれどそれは、底知れないエネルギーを秘めた大地と対等に引き合う熱い血潮を秘めた魂。哲学的な衣裳を身にまとい、大地を踏みしめて行く森田さんの姿は、地球の荒々しい営みの中から、意志を与えられ生まれ出でた美しい宝石そのもの。壮大で過酷な自然の中で生かされながら、束縛と自由の間で葛藤しつつ成長して行ける人間の希望ある生命。その尊さを、写真家高木由利子さんは映像によって尖鋭的に且つ生々しく伝える。

 上映後の暗転から続けて行われたライブは、自らを内観し、精神の奥に分け入っていくようなコンテンポラリーフラメンコ。森田さんのピュアな感受性が胸に突き刺さる。映像による示唆があったからこそ、今そこに在る肉体から放たれる舞踊と音楽に共振できる素晴らしさをいっそう純粋に味わえる。とりわけ斎藤徹氏を中心とした3人のコントラバス奏者による前衛的な音楽は刺激的だった。鼓動に似た低音の連打は空気を重く振動させ、全身の皮膚からはらわたに響いて来る。その音は意識を内面へと引きずり込み、原始的な感覚を呼び起こして行く。
西洋音楽は楽譜に残るけれど、フラメンコという民族音楽は楽譜に残らない。そんな偶然性から生まれる音楽を追求していきたい」
 そう語った斎藤氏の音楽は奔放でありながらロマのルーツに敬意を払い、その精神は限りなくフラメンコに寄り添うものだった。
 
 そして、このライブのために帰国した今枝友加さんのカンテがこの舞台に重厚さをもたらしていた。日本人離れしたペソのある声の伸びやかさ、音程の確かさ、そして気迫。二年前、スペインに渡る直前に行われたライブの時よりもそのカリスマ性は格段に深化していた。東北の震災の後、彼女は様々な葛藤を抱えて、幼い息子さんと共にスペインに渡る決心をした。それはフラメンコという枠を超え、人としてどう生きるかという模索だったと思う。それはずっと付きまとう。それでも苦悩の中で選択を繰り返し、必死で生きて行くしかない。そんな真剣な生き方が歌声に滲んでいた。ラストの歌が忘れ難い。コントラバスのベース音に駆り立てられながらも決して引けを取ることなく、逆に彼らを率いていくように歌い切った、劇的なフラメンコ。ビバルディの『四季』の「冬」第一楽章の鮮烈な哀しみが重なった。終演後、ロビーで今枝さんに原曲について伺った。エストレージャ・モレンテのアルバムの中の一曲をもとにした歌だと教えてくださった。そして今枝さんはさらりと続けて言われた。
「500年前から存在していた詩なんです」
 
 気の遠くなるような歴史が込められていた。それを聞いた瞬間、時代の前衛と結びついてもビクともしない、伝統と革新を呑み込みながら生き抜いて来たフラメンコのアイレが脳裏で鮮やかに広がって行くのを感じていた。

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