小島章司特別出演『洞の女』

5月21日(水)『バラと桜の祝祭』二日目 
(池袋 東京芸術劇場プレイハウス)

小島章司さんが特別出演、振付をされた、現代舞踊企画作品『洞の女(どうのひと)』が素晴らしかった。

異質なものと出会う歓び、苦悩、そしてそれぞれが抱える深い孤独という普遍的なテーマを重厚に描き出していた。

冒頭、クラークのトランペットヴォランタリーの荘厳な音楽と共に宮廷舞踊が踊られる。まばゆいゴールドの衣裳で統一された整然としたモダンな群舞は格調高いバロックダンスの趣を持ち、コールドバレエの華やぎがあるが、どこか高慢な冷たさを滲ませている。

そんな宮殿に暮らす勇気ある娘が、水の響きに誘われて洞窟に迷い込み、そこでヒターノらしき自由な精神を持つ男女と出会う。

驚きと警戒はすぐさま心通わせる歓びとなる。そして弾む気持ちを分かち合うようにして彼らは共に踊る。そこで使われた曲はモーツアルトのコンチェルト。天上の歓びの音楽は澄んだ光となって、すべての人間に平等に降り注ぐ。そこには国境も階級もない。

ここではバイラオールのホープ、関晴光さんと松田知也さんが優美なスペイン舞踊を踊り、モダバレエダンサーの女性たちと生き生きとしたアンサンブルを繰り広げる。

けれど宮殿の保守的な人々は、彼女を洞窟の人々から引き離す。娘が生贄のように宮廷の女たちにリフトされるシーンは衝撃的な威圧感がある。抑圧される民族の悲哀を象徴するようなコダーイ無伴奏チェロソナタが耳に残る。

その光景を憂うように、洞窟の世界を司る女がひとり佇む。神秘的な小島章司さんの登場によって、舞台は昏い洞窟となる。アギラール・デ・ヘレスのカンテが響く。そこで踊られる小島さんの一人踊りは慟哭のフラメンコだった。しなやかな身のこなし、そして柔らかくも芯のある音で遠くまで響かせるサパテアード。70代半ばとは到底思えない研ぎ澄まされた身体能力、その気迫の存在感。そこには、真実の居場所を探し求め、ストイックな人生の旅を続けて来られた小島章司さんの孤高が浮かび上がる。その哀しみの重みが胸を突いてくる。誰もが心の底に抱く孤独に小島さんは誰よりも繊細な精神で寄り添う。

唐突に、生まれたばかりの赤ん坊の姿が脳裏に浮かんだ。赤ちゃんが自分自身を認識していく過程に、自分の手のひらをじっと眺めるという時期がある。
「僕は誰? 僕はここにいる!」
人の一生は生まれた瞬間からそんな探究の繰り返しなのかも知れない。そしてその自問から逃れられないゆえに、人は挑戦し成長して行けるものなのかも知れない。厳しくも慈愛に満ちた小島さんのフラメンコが生きるということの核心に気付かせてくれる。

ラストは再び厳かな宮廷舞踊のシーンに戻り、ヒターノとの対比を印象付けるストップモーションで幕を閉じる。けれどそれは断絶ではなく、異質なものと一筋の光でつながっている希望を残していたと私は感じた。

フラメンコとモダンダンス、異ジャンルに、互いに恐れずに踏み込んでいったからこそ生まれ出でた作品であろう。それは選曲にも表れていた。バロック、クラシック、現代音楽、そしてフラメンコ、生まれた時代と場所が違っていても人間の普遍的な精神で通底していた。
現代舞踊協会と日本フラメンコ協会の初コラボレーション公演、その意義を鮮やかに形にした、ひとつの記念碑的傑作ではないだろうか。
わずか30分に濃縮された深淵なオペラフラメンコ。
ぜひ再演を重ね、次世代に残していって欲しい。



(以下プログラムの言葉より)
「宮殿とその眼下にある洞窟
 水の響きに導かれていくと、
 そこには祈りを捧げる孤高の女がいた
 喧騒から解放された穏やかな時間が娘の心を開いていく
 〜スペインを舞台にした現代舞踊作品〜」

作・構成・振付/井上恵美子
振付/小島章司 飯塚真穂