幸田文『流れる』

幸田文『流れる』を読む。

40歳を過ぎて、芸者の置屋の住込み女中となったひとりの女性の目を通して、
戦後花街の裏側にある日常や作法、そして事件が生き生きと描かれていく。

この作品は、作者の幸田文自身が47歳の頃、実際に柳橋置屋に住み込んで働いた体験に基づいて書かれており、その潔い描写はリアルな肌触りを持つ。
舞台裏の女たちの賑やかな会話の声や、仕事を終えて戻ってきた女たちがほっと油断して帯を解く衣擦れの音までもが、脳裏に立ち上ってくるようだ。そして一見華やかな世界に生きる彼女らの哀しさ、やるせなさ、時には醜ささえも浮かび上がらせていく。
ヒロインを通した奥にある幸田文の観察眼は冷静で鋭く、そして暖かい。
くろうとの決まりごとに見え隠れする心意気に胸を打たれ、ときには建前を浅はかに感じ、そんな新鮮な驚きを抱きつつ関わりを深めて行きながらも、けっしてその中に巻き込まれてしまわない。
彼女もまた、しろうと世界のしがらみの中で生き抜いてきた誇りを持つからだ。

どこか暖かみのある視線は、父、幸田露伴の教えから来るもののように感じた。
それは幸田文の随筆の中で語られていた。
父の、物事を捉えるには相手の立場になるのみではなく、
もっと細やかに、周辺に関わる人たち一人一人の立場になって想像してみるというものの見方。
それは感傷ということではなく、そこから見えてくるものがあるということだ。

つくづく、粋や品格というものは生まれや育ちによるものではないと感じる。
それはどんな境遇に居ても、それぞれに降りかかる労苦を厭わず、
さらにその最中に在ってもひとりよがりになることなく常に周囲の人に目配りし、
気働きを出し惜しみしないことで、はじめて身につくものなのだと思う。
どこにいようと現実の中で自分を磨き上げる術を知っている人たちなのだと
幸田文の言葉に気付かされる。

理想ばかりを思い描いているうちはまだまだなのだと、
自分を戒める。

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)