『バラと桜の祝祭』(まとめ)

現代舞踊協会+日本フラメンコ協会 日西交流400周年記念特別企画公演
モダンダンス5月の祭典『バラと桜の祝祭』
5月20日(火)〜23日(金)/東京(池袋)東京芸術劇場プレイハウス
20日・23日)【踊り】花輪洋治/山田恵子/加藤みや子ダンススペース/鈴木敬子/石井智子スペイン舞踊団/鈴木眞澄スペイン舞踊団/チャリート剣持/大塚千津子/三枝雄輔/岡本倫子/森田志保/本間牧子/チャチャ手塚/渡邊薫/小林伴子フラメンコスタジオ/曽我辺靖子フラメンコスタジオ/花岡陽子スパニッシュダンスカンパニー/岡田昌己【カンテ】川島桂子/有田圭輔/石塚隆充/大渕博光/エンリケ坂井【ギター】片桐勝彦/今田央/三澤勝弘/山崎まさし/鈴木英夫
(21日 現代舞踊企画作品「洞の女」)【踊り】(特別出演)小島章司/関睛光/松田知也/井上恵美子ダンスカンパニー/小島章司フラメンコ舞踊団/坂本秀子舞踊団/日比野京子モダンダンススタジオ【カンテ】アギラール・デ・ヘレス【ギター】マヌエル・デ・ラ・ルス
20日、21日、23日の回を鑑賞)

閃きの向こう側へ             

 異ジャンルとの交わりは新鮮な閃きをもたらす。それを形にするために挑んでいく過程には様々な悩みや苦しみがあるだろう。その葛藤こそが人の心を動かすものを生み出すのだと思う。フラメンコとモダンダンスの記念すべき初の競演は、アートの豊饒な可能性を示してくれた。

 山田恵子さんと花輪洋治さんによるスペイン舞踊『ソレア風の前奏曲』で幕が開く。舞踊への志の高さが伝わってくる。加藤みや子ダンススペースの柔軟な身体を駆使した『カディスの娘たち』。若々しいモダンダンスにアンダルシアの太陽の輝きをみた。鈴木敬子さんの『ダンサモーラ』はイスラム文化が濃厚に薫るベリーダンスにフラメンコの魂を注ぎ込み、観る者の情感を熱く呼び覚ましていた。 石井智子スペイン舞踊団はアンダルシアの洞窟で受け継がれて来たいにしえのフラメンコを絵画的な色彩で鮮やかに蘇らせていた。鈴木眞澄スペイン舞踊団はファリャの『はかなき人生』を優雅に舞い、スペイン古典舞踊の世界へとエレガントにいざなう。三澤勝弘さんのギターソロによる「シギリージャ」。深淵なフラメンコの音色に襟を正す。石塚隆充さんは「ファンダンゴ」を日本語で弾き語りフラメンコの心を身近なものに引き寄せてくれた。鈴木英夫さんと山崎まさしさんによるギターデュオはモノトーンの郷愁を立ち上らせる。エンリケ坂井さんの唄う渋いソレアにヒターノの哀しみを想う。そして第一線で活躍する舞踊家8名が一堂に会したクアドロフラメンコに会場はおおいに湧く。森田志保さんのタンゴが印象深い。野性的な反射神経の中にモダンな色香を漂わす。そしてソレアを踊った本間牧子さんの凛とした眼差しには深い愛の信念が宿っていた。小林伴子フラメンコスタジオ・ラ ダンサによるパリージョと打楽器を中心としたパフォーマンス。一糸乱れぬ繊細なリズムのうねりに吸い込まれた。曽我部靖子舞踊団は洗練されたフラメンコピアノと大渕博光さんのモダンなカンテとの融合で、都会的でドラマティックなフラメンコ舞踊の世界を創り上げた。花岡陽子スパニッシュダンスカンパニーはヒターノ一家の来し方をノスタルジー溢れる舞踊で描き、幼少の頃の遠い記憶を呼び覚ました。最終日、すべてのラストを飾ったのは岡田昌巳さんのスペイン舞踊。体調を崩されていたのだが、気迫の復帰を遂げられた。自分を信じて歩み続けるということは孤独との闘いであると岡田さんは身を持って示してくれる。苦しみを昇華させたフラメンコは凄絶なアイレに満ちていた。「赤い靴」を自ら履いて踊り続けて行く姿が、映画『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンと重なって見えた。日本のフラメンコの礎となってきた美しき執念を目の当たりにし、思わず居住まいを正した。

 小島章司さんが特別出演、振付をされた現代舞踊企画作品『洞の女(どうのひと)』は特に深く胸に刻まれている。異質なものと出会う歓びと苦悩を描いたこの作品は今回の公演テーマを見事に象徴していた。冒頭、クラークのトランペットヴォランタリーの荘厳な音楽と共に宮廷舞踊が踊られる。端正なバロックダンスの趣を持つ群舞は華やぎの中にどこか高慢な冷たさを滲ませている。そんな宮殿に住まう勇気ある娘が、水の音に誘われて洞窟に迷い込み、そこでヒターノらしき自由な精神を持つ男女と出会う。驚きはすぐさま心通わせる歓びとなり、弾む気持ちを分かち合うように彼らは共に踊る。そこで使われた曲はモーツアルトのコンチェルト。天上の音楽は澄んだ光となってすべての人に平等に降り注ぐ。そこには国境も階級もない。けれど宮殿の保守的な人々は、彼女を洞窟の住人から引き離す。娘が生贄のように宮廷の女たちにリフトされるシーンは衝撃的な威圧感がある。抑圧される人々の悲哀を象徴するようなコダーイ無伴奏チェロソナタが耳に残る。その光景を憂いながら洞窟世界を司る女が佇む。小島章司さんの神秘的な姿。アギラール・デ・ヘレスのカンテが響く。小島さんの一人踊りは慟哭のフラメンコだった。研ぎ澄まされた身体能力、鬼気迫る存在感。そこには、真実の居場所を探し求め、ストイックな挑戦の旅を続けて来られた小島章司さんの孤高が浮かび上がる。重い哀しみが胸を突いてくる。誰もが心の底に抱く孤独に小島さんは誰よりも繊細な心で寄り添う。

 赤ん坊が自分自身を認識していく過程で自分の手のひらをじっと眺めるという時期があることをふと思い出す。人は生まれ落ちた瞬間から死ぬまで自分は何者かを探究せずにはいられない生き物なのかも知れない。そしてその自問から逃れられないゆえに人は何かに挑み成長して行けるものなのかも知れない。厳しくも慈愛に満ちた小島さんのフラメンコが生きるということの核心に気付かせてくれる。ラストシーンは、出会いが新たな変化をもたらしていく、そんな希望を予感させた。様々な時代の音楽も含め、異ジャンルに互いに恐れずに踏み込んでいったからこそ生まれた記念碑作品となっていた。アーティストたちの閃きへの果敢な挑戦を目の当たりにした濃密な四日間だった。その熱さを私も心の隅に抱いて過ごしていきたい。