フェティシズム

フェティシズムについて最近思ったこと。
先日のNHK『日曜美術館』ヴァロットン特集で、
彼が女性の臀部に強く惹かれていたということを取り上げていた。
実際にその部分をクローズアップして描いた絵が何枚か映し出されていた。
臀部のみの絵もあるし、横たわる裸婦の後姿もあった。
裸婦は全身が描かれているのだが、
足や顔の表情はのっぺりと描かれているだけなのに対し、
臀部だけは、その奥の骨格すらリアルに感じられるほど、
綿密にそして慎重に描いているのだ。
おしりの曲線に、もの凄い集中が感じ取れる。
私は感動が込み上げてきた。
遠慮も欺瞞も羞恥心もそこにはなく、
執着と偏愛の心を惜しみなく
その曲線に注ぎ込んでいた。
恥も外聞もない。
誰に何と思われようと、
好きで堪らないものを表現せずにはいられない、
そんな渇望がその曲線の歪みに表れていた。

そこにいやらしさは無かった。
臀部の曲線そのものを愛おしむがゆえに、
冷静極まりない眼差しでその美しさを捉え、
キャンバスに移しこもうとしていた。
それが却って
リアルな写真や眼では捉えられない感情のうねりとなり、
それは独特な歪みとなって露わになり、
その絵を観る者の胸に強烈に迫ってくるのだ。

溢れ出る痛々しいほどの想い。
人はここまで何ものかの虜となり、執着せずにはいられないのだ。
どうしようもなくそこに陥ってしまう感受性、
そしてそれを貪欲に表現せずにはいられない得体の知れないパワー。
そんな溢れ出るものこそが、芸術。

フラメンコもきっとそうに違いない。
感動とは、
高度な技術の完璧な模倣にあるのではない。
そこに収まり切らない感性のエネルギーによる歪み、
その違和感への畏れなのかも知れない。

ヴァロットン展
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