日本フラメンコ協会新人公演初日(群舞部門)

日本フラメンコ協会新人公演初日の会場ロビーで購入した、カニサレス演奏によるスカルラッティソナタを聴いています。
もともとは鍵盤楽器のためのソナタであり、これまでチェンバロやピアノで聴いてきたこの作品群は、軽やかで明朗な気品を持っている音楽というイメージを抱いていました。
その同じ曲が、カニサレスのギターによって、憂いの深みを滲ませるのです。一音一音が涙のしずくのような潤いを湛えていて、哀しみが立ち昇ってくる。ただ打つだけの鍵盤と違い、ギターはつま弾きながらひとつひとつの音色に表情がつけられるから……、などという楽器の分析は浅いものに過ぎないと気付きました。その奥行きのある揺らぎは、カニサレス自身の豊かな詩情に他ならないのです。

そんな知性溢れるギターによるバロックは、心を鎮め、素直な気持ちを引き出してくれます。そして新人公演初日の色彩豊かな8団体による群舞を思い返してみる。

趣向を凝らし、変化にとんだ作品はどれも楽しく、また群舞ならではの、仲間同志の気持ちが舞台上で一体となっていく高揚感に心を揺さぶられました。

熊本から参加されたエストゥディオ・アレグリアスの「ソレア・ポル・ブレリア」。一糸乱れぬシャープな踊りに調和の暖かさが滲む。互いに心を通わせた充実した笑顔に胸が熱くなりました。
松彩果さん主宰のエストゥディオ・カンデーラ発「森の踊り子号」による「グアヒーラ」。明るい陽射しと涼やかな風を感じました。シャラシャラというアバニコの軽やかな音は笑いさざめく女性たちの優雅なおしゃべりのよう。柔らかな色彩の衣裳、細やかに移り変わる構成は、まるで印象派の絵画が動いているような映像美を感じました。
新田道代フラメンコ教室Canela Mentaの美しい姉妹による「アレグリアス」。シンクロした端正な踊りは、二人の個性をさりげなく滲ませます。そして自然に身についているコンパス感が未来のポテンシャルの広がりを想像させます。
鈴木眞澄さん主宰のフラメンコスタジオ・マジョールによる「パコの思い出」。パコ・デ・ルシア追悼の想いが満ち溢れていました。パコ不在の喪失感と哀しみ、そして彼に捧げる祈りが、『アルモラィマ』に乗せた優雅なスペイン舞踊から静かに伝わって来ました。
二村広美フラメンコ教室〝LAS FLORES MIAS〟による「セビジャーナス」。思わず身体が動いてしまう、人生を謳歌するような華やぎ。陽気な会話によって肩に力が入っていたことにふと気付かせてくれるような、そんな明るさに満ちていました。
鍜地陽子フラメンコ舞踊団Las Azulindasによる「シギリージャ・イ・マルティネーテ」。力強い自律心に支えられた硬派のフラメンコ。結成時からたゆまなく歩み続けて来た意志がテアトロの空気を熱くしているのを感じました。彼女たちの深化は観る者に未来につながる力を与えてくれます。
Hijas de Manzanillaによる「マルティネーテ」。漆黒の衣裳、深みのある音楽、磨かれた構成、それらすべてから、絶え間ない苦しみをはねのけて行く人間の剥き出しの強さが伝わって来ました。群舞の最後を飾るにふさわしいペソのあるフラメンコでした。

そして、群を抜いた存在感を放った作品は、鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオの4人による「ファンダンゴ・ポル・ソレア」でした。
師である鍵田真由美さんの薫陶を受けた舞踊は、内側から放射状に花びらが開いていくように鮮やかで情感豊か。よく訓練された、確かな回転軸と柔軟性を兼ね備えた彼女たちの肉体は、内面のひだををあますところなく流れるような造形美にして表し、私たちに差し出してくれる。4人全員が粒揃いの身体能力の高さを身に付けているのは、アルティソレラの舞踊団員として、プロフェッショナルなエンターテインメントの厳しい舞台にさらされ、鍛え上げられて来たからであることは明らか。

八つの教室による群舞の多様性、その色彩の豊かさは、日本のフラメンコにおける成熟のひとつの証と言えるでしょう。それぞれの作品の独自性、そしてそこに至る背景は様々に感動を呼び起こしますが、完成度という観点で言えば、鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオの作品はやはり別格だったと思います。新人公演は、批評して順位をつける場ではないという理念は素晴らしく、これからも尊重していきたいこと。そう思う一方で、すべてを同じ土俵で語るのはなかなかに難しい、というのが、分析ではなく、今年の群舞を観終わった今の率直な感情です。実力、将来性、伝統、モダン、エンタメ性、専門性など、様々な切り口が想定される中で、順位付けはないとしても、どの作品に奨励賞を授与するかということが、協会の方向性を現実的に指し示していくように思います。