今を笑って

金子光晴著『絶望の精神史』(講談社文芸文庫)をたまに読み返しては、優柔不断に流れそうな気持ちを立て直す。

最近読んで、目に飛び込んできた箇所。

「日本人の湿っぽい心象を培養土としてはびこったもの ・・・ あのおびただしい仏教の因果話であった。 〜
こうして亡霊たちに気を使う習性は、滅びた権力や、家柄、格式、老舗などに、実質はさておき、無条件に頭を下げる事大主義として、われわれの心に残った。」
「外交や、民族の融和ではなくて、国の暴力一つをたよっているのである。その原因は、彼らをそそのかし、軍事力によって国の発展を約束した明治の軍国主義を、世間知らずの正直な日本国民が、まるのみにしたことによるのだ。」

反骨の詩人、金子光晴70歳(1965年)の時の随筆。
時代を経ても、未だ何も変わっていないことを痛感する。

「古い考えやしきたり ・・・ 日本人の不気味な微笑みとか、わからぬ沈黙とか、過度な謙譲とか、・・・ しっかりとした成人として生きてゆくために、自ら反省し、それらの足手まといを切り払い、振り捨てなければならない」

美徳といわれてきたものを「足手まとい」と言い切っているところが
気持ちいい。
せめてここから始めようと、自分に言い聞かせる。

目で、耳で、肌で。
五感に響いてくるものを求め合い、信じ合って、
同じ時代、ともにいる人たちと歓びを分かち合いながら、
笑って生きてゆきたい。
フラメンコは、その象徴だなと感じています。