スペイン国立バレエ団『アレント』

スペイン国立バレエ団のBプログラムを観てきました。
アントニオ・ナハーロの新作『アレント』が素晴らしい。

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身体で表現し得る美しいもののすべてがそこにあった。
スペイン舞踊を踊り分け、フラメンコを純粋に体現するのはもちろん、それだけには留まらない。クラシックバレエの基礎を血肉化し、モダン、コンテンポラリーをクールにこなし、ジャズ、ミュージカルの躍動を創り出す。「ウエストサイド物語」や「コーラスライン」を初めて観た時を思い出させるような、ときめく昂揚感は忘れ難い。
サパテアードをタップのように軽やかに見せ、縦横無尽に舞台を横切る時の足運びはボールルームダンスを見ているようだ。つま先から滑らかに差し出し、男女がエレガントに駆け抜けていく。歌舞伎のけれん味をもアクセント使うウイットが堪らない。
そして忘れてはならないのが、アントニオ・ナハーロが長きに渡って関わっているフィギュアスケートの振付けの経験が鮮やかに活かされているということ。コンテンポラリーダンスの手法を取り入れ、床と密着することで舞踊の可能性を広げ、さらにフィギュアのアイスダンスのリフトの手法を取り入れることによって空間表現をダイナミックに広げていた。男性が女性をリフトしながら滑るように移動し、女性も空中で体勢を変化させていく。パワーと優雅さの息づかいがひとつになる気迫に惹き込まれた。
舞台美術も幻想的で洗練されていた。舞台を覆うように広がる柔らかな白い布。そのシルクのような妖しい光沢と揺らめきが忘れられない。その中心で男と女が柔らかく絡むシーンが印象的。シーツの中の至福の官能を彷彿とさせる。そしてその布が取り払われ、デュエットが踊られる。それは「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンのように初々しい。そう、年を重ねても恋はいつも初々しい。そしてそれはいつの時も切なさと儚さを伴うものだ。
さらに印象的だったのが、空中ブランコから優雅に降り立った女性舞踊手のソロ。カスタネットとバタ・デ・コーラを自在に操り、フラメンコの深淵を踊り切った直後に、洗練されたモダンバレエを柔らかに踊った。美しいラインの高度な身体表現の核にフラメンコ的なものを秘める踊り手の奥深さは、スペイン国立バレエの唯一無二の圧倒的なそしてどこよりも人間的な存在感を象徴していた。
音楽も素晴らしい。重厚なメロディと緊迫感に満ちたリズムは映画音楽のようにストレートに脳に入って来る。荒削りな魅力を持った音楽は、カスタネットとサパテアードが入ることによって舞台上で完成されるという、美しく計算されたものだった。
「美しいけれど、それはフラメンコ的ではない」という言い方をよく耳にする。だが、美しいと感じる気持ちに制約をかける必要などないのではないか。なぜなら、すべての美しさの根底にフラメンコがあると思えるからだ。
ノアの方舟の物語を思い出す。人間たちの罪深さを一掃するために神が起した洪水。すべてが終わった後に、芽生えた一本のか細いオリーブ。それはある人にとってはクローバーかも知れない。または一輪の花かも知れない。人それぞれに心を寄せ、希う美しいものは、人間の罪深さの混沌から生まれたものだ。
あらゆるアートの美しさを美しいものと認め、信じる。それはカオスの苦しみの中から生まれて来たからこそ、限りなく愛しい。
そのカオスこそが愛すべき人間の本質であり、それこそがフラメンコであり、美しいものを生み出す土壌となるのだ。
ナハーロの美学が強烈に伝わってくる。様々な舞踊の美しさの極みを融合させ、その根っこをフラメンコで結ぶことで生まれて来た作品、それが「アレント」なのではないか。
アントニオ・ナハーロ渾身の作品。それは美しいものを愛して止まない彼の、逆説的な執念のフラメンコ愛に他ならない。

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スペイン国立バレエ団 Bプログラム
11月21日(土)Bunkamuraオーチャードホール
『サグアン』『アレント