平野啓一郎著『マチネの終りに』読了

平野啓一郎さん『マチネの終りに』やっと読み終える。時間を掛けてじっくり読む幸せ。芸術論、音楽論、バッハ論、天才論、戦争論を背景にした奥行きがあって、どの文章にも立ち止まり、考えさせられてしまう。けれどそれは、切れぎれになることではなく、立ち止まるごとにどんどん深まっていく感じ。全ての思想に通底しているのは、死を感じているからこそ切実に、想いを大事に生きていきたいということ。だからこそ、蒔野と洋子は、出逢ってしまった愛の尊さを知り、迷いながらも、それでも互いを見失わなかったのだろう。50歳目前の今だからこそ、伝わって来た。

バッハのことを語った洋子セリフが印象に残っている。

「やっぱり、三十年戦争のあとの音楽なんだなって、すごく感じた」
「あの凄惨な戦争のあとで、社会的には対立の共存を受け容れながら、内面的には信仰が一層深まっていく。荒廃した世界を生きながら、当時の人たちは、バッハの音楽に深く慰められたんだと思う」

ドイツという一地方の純音楽が、なぜ今も人の心を掴むのか、そのひとつの答えがあった。
グールドのピアノが頭の中で軽快に鳴った。
左右の音楽が自由自在に歌いながら、絡み合っていく音楽を。
現代も、当時の「荒廃した世界」とちっとも変らない。
けれど、過ちを繰り返しながらも、同じように、対立しながらも共存を受け容れようとし、慰めを求め、生きる方向に歩もうとしているのだと信じたい。

そして、「対立」が当たり前のことであるからこそ、深く知りたいと思える人に出逢うことが、いっそう得難いことなのだと思い当たる。