小島章司出演『シミュレイクラム/私の幻影』

互いへの深い寛容。優しさに満ちた舞台だった。

遠い眼差しをして腰かけている小島。やがて立ち上がり彷徨いながら、ゆっくりしなやかにフラメンコを踊り出す。それは故郷の阿波踊りをも思い起こさせる。

「何をさがしているの?」ダニエルが問い掛ける。
「金魚。子供だったころ飼っていた綺麗な金魚」小島が答える。
「戦争が日本を変えてしまった……」
36歳のアルゼンチンのコンテンポラリーダンサーで歌舞伎舞踊女形を舞うダニエル・プロイエットと、78歳の日本のフラメンコ舞踊家小島章司の、互いの記憶を呼び覚ましていく対話と告白が始まる。英語、日本語、スペイン語のセリフが夢の中のように混ざり合う。年を重ねて来たことで研ぎ澄まされた小島のフラメンコと、しなやかさに静かな慟哭を秘めたダニエルのコンテンポラリーが、互いに心を差し出すように踊られていく。

幼い頃に養子に出された小島は、自分を手放さなければならなかった母の哀しみに想いを馳せる。そして「美」に没頭していく中でフラメンコに出会い、若き日に単身でシベリア鉄道に乗りスペインに渡った。ダニエルは小さい頃、姉の美しい衣裳に憧れを募らせ、女らしさに「美」を見出した。やせた少年はいつもひとりぼっちだった。

かねてから私は、小島の、湖を想わせる深い優しさはどこから来るものなのかを知りたかった。それは、彼自身が心の底から欲していた「母なるもの」に自らがなることで自らを癒してきたところに在るのではないだろうか。この場合の「母」とは性別も役割も超えた「無償の愛」を与える者。そしてこれこそが小島の追求する「美」の根底を成すもの。不在だった「母」の存在は小島の幻影で在り続けつつ、その尽きぬ想いが小島の人となりを築き、彼の芸術を磨き上げて来たのではないか。

孤独を友にフラメンコ一筋に歩んで来た小島は、同じく孤独を抱えていたダニエルの想いをはっきりと理解し、受け留めた。それはダニエルにとって大きな救いとなったことだろう。そしてダニエルはそれに返礼するかのように、小島の母を描いた日本舞踊『ナツエ』を心込めて舞った。女らしい色香に満ちた、たおやかな舞踊だった。

この作品のプロジェクトが始まったゼロの状態の頃、小島のルーツを知るために、演出家、踊り手含め十数人で小島の故郷、徳島の牟岐(むぎ)を訪ねたという。アメリカ、ノルウェー、アルゼンチン、日本と様々な国のアーティストが海にほど近い静かな田舎で行ったワークショップは彼らを素直に語らせ、いっそう親密にしたことだろう。そこから足掛け5年の歳月を掛けて育てた作品を今日、目の当たりにした。

敬愛している人をそして好意を抱いている人を、ただ距離を置いて接するだけではなく、より知り合おうと努め、心を開いていくことは、本当に素敵なことだ。そんな深い優しさが、『シミュレイクラム/私の幻影』という作品に溢れていた。「幻影」とはただ幻ではなく、思い続ける人にとっては「現実」にもなり得るものなのかも知れない。ここに希望がある。

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終演後のトークタイムで、SPAC芸術総監督の宮城聰さんが、小島さんがフラメンコを選んだことについて、「自分に身近なものでは無く、距離のあるものを選んだ時に、自分をより掘り起こすことができる。文化と文化のぶつかり合う時にそれはより深まる」とおっしゃっていたことが印象に残っている。

ふじのくに⇄せかい演劇祭
『シュミレイクラム/私の幻影』
2018年5月3日(木・祝)4日(金・祝)
静岡芸術劇場
【演出・振付】アラン・ルシアン・オイエン
歌舞伎舞踊振付・音楽『Natsue』】八世藤間勘十郎
【出演・振付】小島章司/ダニエル・プロイエット
【ギター】ペペ・マジャ“マローテ”
【カンテ】マヌエル・デ・ラ・マレーナ