エンリケ坂井さん主宰 カンテの会コンサート

昨夜は、エンリケ坂井さんのカンテの会コンサートに行ってきました。
カンテの豊潤さを改めて知ることができた、素敵な発表会。

クラスごとに皆さんで歌うプログラム、そしてカンテ・ソロのプログラム、合わせて約30曲。例えばタンゴにしてもファンダンゴにしても、いろいろな地域のものや、カンテの巨匠たちが歌ったもの、それぞれに雰囲気が違い、その味わいを堪能しました。

クラスごとに歌う時は、ひとりずつ一節歌う部分があり、その度にギターのキィも変えて、その方の声に合った高さで歌われていました。そうするとその歌はもうその人ならではのものになる。カンテは楽譜ありきではなく、歌う人ありきなんだなあと、カンテの人間味の暖かさを改めて感じました。

なぜか、自分の故郷、高松のことがずっと胸に浮かんでいました。地方に根差した歌、人の地声には、そういう想いを呼び起こす深いものがあるのでしょう。...
エンリケ坂井さんのカンテへの果てない愛情、そしてご努力の実績は間違いなく伝えられ、ここに根付いていると感じた夜でした。

 

2019年3月9日(土)17:30開演

中野ゼロ 小ホール

NHK「欲望の哲学史」マルクス・ガブリエルのドキュメンタリー

『なぜ世界は存在しないのか』著者マルクス・ガブリエルさんのドキュメンタリー。「新実存論」という思考。
本は未読だけど、おもしろかった。先にテレビを見た方が私には分かりやすくて良かったかも。

実存主義から、現在に至る思想の流れから見えてくる、ほのかな希望。

(以下、番組からのメモ)
かつて「社会派夢のような共同幻想」の中にあった。
鏡像段階ラカン)。社会はイメージの投影に過ぎない。
共同体によるセルフイメージをコントロールできたら、階級社会を支配できる。
精神分析の理論を広告産業に利用していた。
広告産業は幻想の産物であり、
「文化産業が提供する製品は否応なしに型通りの人間を生産する」(アドルノ

(ここの感覚は、現代もかなり引きずっていると感じます。)

「なんでもあり」の相対主義を相対する。
人になにをすべきか。モラルは相手の立場にたって初めて分かる。
意味のあるものは存在する。だが「世界」は存在しない。「全体」を見渡す神の目は期待できない。「全体」性という考えをやめれば、新しい思考が生まれる。
「歴史」を疑え。「因果関係」を疑え。
「全体」求めず、
「細部」に引きこもらず、
思考し続ける。(以上)

そこからは自ら考えること、と個々に委ねられた気がする。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225581/
著書『なぜ世界は存在しないのか』
https://allreviews.jp/review/2205/

『Ay曽根崎心中』

『Ay曽根崎心中』を観て来ました。今日(12/18)は、工藤朋子さんのお初と、三四郎さんの徳兵衛。この日が工藤さん、三四郎さんの回の最終日でした。
先日13日には、鍵田真由美さんと佐藤浩希さんの回も観ました。
何よりもまず、「おめでとうございます」とお伝えしたい。
1703年初演の近松門左衛門浄瑠璃が、300年の時を経た現代に蘇り『フラメンコ曽根崎心中』となって再演を重ね、そして今回『Ay曽根崎心中』として生まれ変わり、それがまた未来へと受け継がれていく瞬間に立ち会えたのだから。

タイトルを「Ay」としたのは、「フラメンコ」という枠を取り払い、もっと多くの人々に広く近松の描く“愛”を伝えたかったから。それを象徴する歌声、Ray Yamadaさんの歌声は透明な美しさで、言葉もクリア、お初の心が沁み渡ってきます。三浦祐太朗さんのウエットな若い声は徳兵衛の人間味となって共感を呼び、若旦那さんの声も九平次らしいピカレスクの魅力を響かせました。矢野吉峰さんと若旦那さんによる九平次からは、単に「悪」だけではなく、愛の欠乏ゆえの虚しさの反動という哀しみすら伝わって来ました。

工藤さん、三四郎さんは、新生「曽根崎」にふさわしいデビューを飾りました。朴訥で正直な徳兵衛と、はかないほどにピュアなお初の愛はまっすぐで、若さゆえにリアルで生々しく、その痛みに引き込まれました。工藤さんの可憐な美しさは、「未練の心」を捨て去った瞬間から、情愛を知る妖艶さを深めて鬼気迫るものとなっていきます。そして三四郎さんの、彼らしくありつつこれまで観たことの無いほど一途な眼差し。最愛の人だからこそ、覚悟と裏腹に、刺し殺すことへの躊躇と逡巡。それを受け止めて導いていく工藤さんの深い優しさ。死によって結ばれる愛に突っ走っていく生々しい情念の道行から目が離せませんでした。白い打掛を剥ぎ取った真紅の襦袢の艶やかさが、二人の情愛の深さを象徴していました。

そして、鍵田真由美さんのお初と佐藤浩希さんの徳兵衛は、個人の感情を越えた、万人の愛を昇華させるための神聖な奉納の舞の高みに達していました。以前、浩希さんが語っていた「未来成仏 色疑ひなき恋の手本となりにけり」という原文の世界観、「心中という儀式こそがふたりの肯定的な愛の表現」ということを見事に象徴していました。白装束で死に向かう鍵田さんの、情念を秘めながらも日本人形のような抑えた微笑みは、あたかも浄瑠璃の人形のごとく、観る人々すべての愛する人への想いをそこに投影できる神々しさがありました。

カーテンコールでは宇崎竜童さんが、この舞台のテーマともいえる名曲『道行華』をギター1本で歌いました。それはまるで最愛の妻阿木燿子さんへの遺言状のようであり、その気迫に打たれました。

鍵田さんと浩希さん、工藤さんと三四郎さん、阿木さんと宇崎さん、津軽三味線の木乃下真市さんと松橋礼香さんもご夫婦とのこと。『曽根崎心中』は、演じる人々、観る人々それぞれが心に持つ愛の想いを昇華してくれる物語なのかも知れない。それに気付かせてくれるからこそ、長く求められていく舞台になり得たのだと感じます。『Ay曽根崎心中』の成長をこれからも見続けたいと心から願います。

チャチャ手塚 パセオソロライヴVol.102

チャチャ手塚さんのパセオライヴ、熱かった!

スタートが“喜びの歌”アレグリアスなのが、チャチャさんらしい。
続いておなじみ『Me va me va』のリフレインにときめく。歌で鍛えた筋肉と、踊りで鍛えた筋肉、そして呼吸の連動から生まれる生声は、たとえ後ろを向いていても、張りのある背中から声が響いて来て気持ちいい。息の長いパワフルなビブラートからピアニッシモまで、臓腑を震わせる。

全10曲のプログラムには短い翻訳が書き添えられており、豊かな表情と声色で歌い継ぐ姿は女優のひとり芝居を見ているようで、愛の世界に引き込まれる。山粼まさしさんは、つきあいの長いルンベーラがいとおしくてたまらない、あうんの呼吸でギターを奏でる。艶のあるグラナイーナに聴き惚れた。三枝麻衣さんは、大親友鈴木眞澄さんの娘さんで幼い頃から知っている。チャチャさんの懐から飛び立つような怒涛のソレアを踊り、歌とのコントラストを見事に際立たせた。そしてカンテの永潟三貴生さんも敬愛するルンベーラの世界観を知りつくし、ソフトな歌声で包み込む。クライマックスはふたりの声が絡み合う熱いデュオ。心がとろけた。

終演後のカウンター。お母様の介護をされているという話が自然に会話に出て来る。チャチャさんの大ファンという女性が、以前習っていた頃にチャチャさんがプレゼントしてくれたという手編みのセーターを着てライヴに来られ、再会を喜び合う。綺麗な編み込み模様の白いセーターは、整然と揃った目で柔らかく編まれていて、かなりの腕前と一目で分かる。几帳面な素顔が新鮮だ。周りの人々との関わりを大切にしてていねいに暮らす姿が伝わって来る。

アートは生き方を映すものだが、フラメンコは特にそれが濃い。歌い踊るダイナミックなチャチャさんのフラメンコはどっしりとした生活感と地続きだ。アートと生きることに何の隔たりも無い。だから舞台の世界を信頼できる。

華やかなカーテンコールの後も拍手は鳴りやまず、最後の最後に息を切らしながら舞台に戻り、振り絞るようなブレリア一振り、突き抜けた笑顔で応えた。70分歌い切って、どこにそんな力が残っていたのか。すっきりクールに終わらせることもできたのでは、という問い掛けに、そうなの、でもね、やっぱりお客様なのよ、とチャチャさんはきっぱりと答えた。タブラオを生き抜いて来た女の、艶やかな笑顔で。

パセオフラメンコライヴ Vol.102
チャチャ手塚 ソロライヴ
2018年11月8日
高円寺エスペランサ
チャチャ手塚(ルンベーラ)
山粼まさし(ギター)
永潟三貴生(カンテ)
三枝麻衣(バイレ)

スペイン国立バレエ団 Bプログラム

いやあ素晴らしかった! スペイン国立バレエ団のBプログラムを観て来ました。

ボレロ』が一番印象に残っている。精神のストリップに昂揚した(ストリップほどプリミティブに求められ、それに応え身を削って与えるものはない)。それは生々しい人間をさらけ出すゆえに、いっそう崇高なのだ。ベジャールへのオマージュであることは一目瞭然。その名作から受けたインスピレーションをフラメンコで表現することで濃厚な色彩と熱量を与えた。壮絶な血の色だ。フラメンコの肉体は美しい。ストイックに絞ったバレエとは一味違った、リアルな生命力に溢れていた。

『カンティーニャス・デ・コルドバ』、しなやかで優美、それでいて骨格のしっかりとした美しいオブジェのようなフラメンコ。『ビバ・ナバーラ』、素朴で可憐、足の動きが細やかで饒舌な名人芸のホタ。インマクラーダ・サロモンの軽やかな微笑みが印象的。『セビリア組曲』との再会も楽しみだった。「マエストランサ」、官能的なコンテンポラリー。闘牛士と闘牛の表裏一体の愛憎。「パセオ・デ・エンスエニョ」、Aプログラムで『マントンのソレア』と『サラサーテのサパテアード』をそれぞれ踊ったプリンシパルエステル・フラードとフランシスコ・ベラスコとのエモーショナルなパレハ。フラメンコの真髄を踊ったふたりがドラマティックな深い愛を見せてくれた。まとわりつくほど濃密な愛に浸った。

3年前の来日時のプログラムをさらにバージョンアップした待望の再演。初演時の衝撃とは違う感動に満たされた。プログラムはAB通して、ナハーロ振付の作品、過去の名匠の作品を含め、ナハーロ自身の審美眼を通して、未来に引き継いでいきたいと願う作品群。ナハーロ渾身の舞台に乗る踊り手たちは、初演特有の緊張感からは解放され、ナハーロの意図も振付も血肉化され、踊り手自身のものとなっていた。音楽をたっぷりと使い、空間を染め、踊りに込められた想いは観る者にじっくりと浸透して来た。観終わった後、爽快感に浸っていたのはなぜか? それは、単にナハーロ個人的な思い入れではなく、偏向のない美意識をもって、フラメンコにおける理想を残し伝えようとする、ナハーロのプライドと責任感が伝わって来たからだ。また観たいと願う。ああ名作とはこのような志と努力のもとに生まれ、それが古典となって未来に残って行くのだと気付いた。フラメンコ、クラシコエスパニョール、エスクエラ・ボレーラ、フォルクローレ。スペイン舞踊すべての最高のものがここに在った。

上野の文化会館大ホールは5階まで満席だった。フラメンコにこれだけの人が集まるとはなんと嬉しい光景か。客層はフラメンコ愛好家以上に、アート愛好家が多かった。これだけの人々が、本場スペインからやって来たフラメンコの最高峰を目の当たりにして、惜しみない拍手を送ったのだ。フラメンコ審美眼のハードルはぐんと上がっただろう。かつてガデスが来日したころの興奮を想い出す。目の覚めるような本場の底力を見せつけられた。さあ日本のフラメンコは?と、ワクワクしてくる。踊る人も歌う人も、そして私を含めて書く人間も、腕が鳴るというものだ。

スペイン国立バレエ団2018年日本公演
Bプログラム
10月26日(金)
東京文化会館大ホール

今枝友加 パセオフラメンコ カンテソロライヴVol.101

今枝友加さんのカンテソロライヴ。

真の敬意とは、高ぶることなく奢ることなく媚びることなく飾ることなく、自分自身の持ち得る限りの一番良いものを相手のために捧げるということ。

素晴らしい心の交流を見た。それはなんと尊いことだろうか。

「魂と対話しながら歌いたい」。彼女はライヴに向けての心境をそう語っていた。まさにその想いが真っ向勝負となって実現していた。一曲目のソレア、音が生れようとする緊張感から、それは始まった……
今枝友加さんのカンテソロライヴ。エンリケ坂井さんとの共演は意外にも初めてで、「恐れ多くて夢のよう」だったという。

エンリケさんの深い懐の大海へ、今枝さんは畏れを知りつつもその奥にあるものを掴もうと飛び込んだ。和やかで真剣なリハーサルから見せていただいたのだが、初めのころはまだ遠慮もあった。けれどエンリケさんはどこまでも今枝さんを泳がせ、彼女も次第にその水に溶け込んでいくように自由に泳ぎ出す。

彼女の感情を受け止める大らかな眼差しに歓びが滲む。かつてスペイン修行時代に彼の地の往年の巨匠たちと共演した手応えを、エンリケさんは今枝さんに見出していたのではないだろうか。今枝さんを導くかのように、そして問い掛けるかのように、フラメンコの真髄を聴かせるファルセータをエンリケさんは軽やか弾く。その空気に包まれながら、エンリケさんを見つめる今枝さんの幸せに満ちた美しい微笑みが忘れられない。

なんて贅沢なライヴ! けれど誰よりもそれを感じていたのは、高みを掴む苦しみと歓びを知るもの同志が、自分のその身ひとつと時間とを相手のためだけに捧げ合ったふたりなのだと想う。

パセオフラメンコライヴ Vol.101
今枝友加 カンテソロライヴ
2018年10月17日(水)
高円寺エスペランサ
今枝友加(カンテ)
エンリケ坂井(ギター)

カニサレス フラメンコ・クインテット

先月見たカニサレス フラメンコ・クインテット
心地よく洗練されたフラメンコ空間、あの美音が耳に残っています。
愛と孤独を知る巨匠。
 
 
自らの半生を振り返るような、静かなソロからリサイタルは始まった。
世界最高峰のフラメンコ・ギタリストとなった今も、否、今だからこそ人は誰しもが孤独であるという原点に立ち返り、その静寂を噛み締めているようなマエストロの姿。そこからの対比で、フラメンコはコミュニケーションのアートであることがいっそう浮き彫りとなっていく。

馴染のカルテットにカンテを加えたクインテットカニサレスの音楽に、カルモナはカンテで情感の厚みをもたらし得意のマンドラで繊細に寄り添う。安定のセカンドギター、ゴメスは骨太に支える。チャロはしなやかなバイレとチャーミングな笑顔で色彩を与える。ムニョスの心沸き立つカホン、そして妖艶なバイレと気迫のサパテアードは素晴らしかった! 彼らは、ソロから5人編成まで自在にアンサンブルを変化させていく。

朗らかに行き交う姿は自然でさりげなく、信頼の呼吸で結ばれていて、自己主張せずとも彼らの個性はすっきりと際立ち、その佇まいは実にエレガント。

知性溢れるコミュニケーションに奥行きを与えるのは、カニサレスのクラシックにおける造詣の深さ。今や『アランフェス協奏曲』ソリストの第一人者となった彼は、ファリャやアルベニス等、作曲家の魂にじっくりと向き合うことで、人の“想い”へ共感度を深めた。“今”の想いに反応する鮮やかなフラメンコ的直感とともに、その両輪でカニサレスのフラメンコの対話は磨かれて来た。

ラスト近く、ソロで演奏された『感受』は愛妻、真理子さんに捧げられた曲。瞑想するように爪弾く音色に愛情が滲む。真理子さんは客席のどこかで聴いていただろうか? 私なら嬉しさのあまり泣いてしまうだろう。

音楽は想いから生まれる。そんなシンプルな、けれど一番大切なことに改めて気付かされた極めて幸福な時間だった。

9/29(土)めぐろパーシモンホール

フアン・マヌエル・カニサレス Juan Manuel Cañizares
(ギター)
フアン・カルロス・ゴメス Juan Carlos Gómez
(セカンド・ギター)
ホセ・アンヘル・カルモナ José Angel Carmona
(カンテ、マンドラ、パルマ
チャロ・エスピーノ Charo Espino
(バイレ、カスタネットパルマ
アンヘル・ムニョス Angel Muñoz
(バイレ、カホンパルマ