アファナシエフの『クライスレリアーナ』

 アファナシエフの弾く、シューマンの『クライスレリアーナ』を聴いています。
 
 音楽論も執筆したロベルト・シューマンの楽曲は、
 優しさに満ちた『子供の情景』やドラマチックな『ピアノ協奏曲イ短調』など
 ドイツ・ロマン派の慎ましさや重厚さもあり好きな曲も多いのだけど
 一方で、やはり文学と深く結びついていて
 素直にきれいだなあということだけで聴いてはいけないような
 難解さもある。

クライスレリアーナ』は起伏に富んだ流れの旋律の中に
 どこか引っ掛かりを感じるドラマ性のあるところが好きで、
 以前はよく聴いていました。
 ウィルヘルム・ケンプの端正で暖かな演奏だったからでしょうか。
 けれど何しろ、学生時代に買ったカセット・テープによるものなので、
 聴くのはずっと遠ざかっていました。

 久々に聴いた『クライスレリアーナ』。
 アファナシエフの創り上げるデモーニッシュな音の世界にゾクッとしました。
 この曲にこのような狂気の面があったとは。
 音楽を流そうとはせず、
 ひとつひとつの音に思考を刻み付けるように
 鍵盤を押さえていく。
 高音の煌びやかさは徹底して抑えられ、
 アルトの音域の旋律が重く歌われ、存在感を増しています。
 そして低音が闇から現れるようにずしりと響く。
 精神を病んでこの世を去ったシューマンの曲は
 このような演奏こそがふさわしいのかも知れません。
 

「音楽は静寂から生まれ、静寂に戻っていく。
 大きな空間を感じ、静寂を意識すること」

 音楽の在り方をそのように語っていた
 アファナシエフの『クライスレリアーナ』は
 まさに魂を呼び寄せるような昏い瞑想精神を感じさせる。
 それは決してはかないものではなく
 目には見えない重い生命の存在感。
 そして静寂に戻るように
 その魂も帰すべきところに戻っていく。
 それは私たちの生が確実に向かってゆくところでもある。
 だから胸に迫ってくるのだとおもう。