2015-01-01から1年間の記事一覧
「自由に生きることを求めながら、この男の前でだけは自由ではいられないと思う。そこから官能が生まれて来る」 本を読みながら寝落ちしてしまったようで、朝、こんな感じの言葉だけが記憶に残っていた。どの本のどこに書かれていたか、まだ探せていない。 …
ねばならない、の上に、 ねばならないを塗り重ねていた。 なろう、ではなく、 隠そうという意識がそうさせていく。 そんな自分を否定すればするほど、 厚化粧になっていくという矛盾。 なんて哀れで滑稽な姿。 うっとうしいものを剥ぎ取って、 素っ裸の寄る…
あなたはそのまんまのあなたでいることがいいの。 自分自身を謳歌して生きようよ! マリアの声! マリアの踊り! マリアの笑顔! BUNKAMURAオーチャードホールは マリア・パヘスの しなやかでタフなエネルギーに満ち満ち溢れ、 その明朗なアイレは …
髪をばっさりと切りました。 20数年ぶりのショートヘア。 他人の目、とか、 (男性は長い髪の方が好きなんじゃないか、とか) こうならねば、とか、 そういうものに振り回されるのはやめて、 こうなりたい、と望む方に素直に向かうことの、 何と清々しいこ…
一切の「ねばならない」を捨てよう。 今、自分に必要なのは 「ねばならない」を遂行することではなく 「ねばならない」を捨て去ることだった。 そうすることによって 「ねばならない」で取り繕っていたメッキが剥がれ落ち、 浅はかな自分の姿が露わになるだ…
常に、ゼロから出発する意識を持つこと。 「原点に戻る」とか「初心に帰る」などとよく言うけれど、 それは、引き返したり、後退したりして、 過去に救いを求めることではない、と気付きました。 古巣に舞い戻れば、 そこがいつまでも自分を守ってくれるとい…
ポテトサラダを作る。 新じゃがと新玉ねぎを使った、 この季節ならではのシンプルなサラダは、 シャキシャキと爽やか。 先日、会社の送別会で食べたポテサラが とても美味しかったので、 その気分を家族にもおすそわけしたくなったのです。 まったく同じもの…
文芸春秋掲載の、小野正嗣『九年前の祈り』(芥川賞受賞作)を読む。シングルマザーとなって、幼子と共に故郷へ帰ってきた女性の目に映るもの。 限界集落ともいえる閉鎖的な田舎町。 かつて嫌悪し、年月を経てもそのままそこに存在するものが描かれながらも…
パーボ・ヤルビィ指揮、ドイツカンマーフィル演奏のブラームスを、NHK Eテレで放送していた。 ソリストに、ラルス・フォークトを迎えた、ピアノ協奏曲第1番。 第3楽章では、力強い推進力の中に、 ピアノの弦の張力とゴツゴツ戯れるようなウイットが溢れてい…
真のアートは、時間が経つにつれ、くっきりとした輪郭を浮かび上がらせ、記憶は鮮烈なものとなっていく。 昨夜の、エスペランサにおける森田志保さんのフラメンコがまさにそうだった。 その鮮やかな感受性の体現は、表面的視覚的なものとは対極の、胸のひだ…
本日、読売新聞朝刊(1/26)に掲載された熊川哲也氏率いるKバレエカンパニー公演『シンデレラ』の広告にプレビュー記事を書かせていただいております。 プロコフィエフのドラマティックな音楽、ペローの深淵な物語が融合した幻想的で華やかな舞台。大人のため…
「どこまで大きく未完成で終わるかだ」 日本画の大家、奥村土牛(1889−1990)は、 85歳で書いた自伝の中でこう語っている。 その言葉のとおり、どっしりと生き抜き、亡くなる直前まで描き続けた。 代表作となる「鳴門」は70歳、 「醍醐」は83歳の時に発表…
(引用) 「旅とは、目に見える光景やモノにだけではなく、本来は触れることのできないなにかに触れることではないだろうか。したがって、現実世界での距離の移動など、そこでは機能しなくなる。」(堀江敏幸) 胸の深いところに沁み込む一文。 何のために旅…
1月7日は七草粥の日。 米一合をたっぷりの水に浸して、 朝一番にお粥が炊けるように仕掛けておく。 炊きあがったお粥に混ぜ込めるように、 七草の小さな葉っぱを刻んでおく。 朝のお粥の優しい塩味は、家族たちの年末年始の疲れを取り、 ほっと一息つかせて…
節目は自分の内に在る。昨年は新しい場所に飛び込んだ年であり、 変化は大きかったはずなのに、 それは今までの経験の積み重ねが自分の中から溢れだしたような、 ごく自然な流れであったことに気付く。 大晦日から新年のへと移り変わる時を、お節の支度に追…